歯列矯正のカウンセリングで、歯科医師から「歯を少し削ってスペースを作りますね」と説明され、驚きと不安を感じた経験をお持ちの方も少なくないでしょう。「健康な歯を削るなんて大丈夫なの?」と疑問に思うのは当然のことです。この「歯を削る」処置は、専門的にはIPR(Interproximal Reduction)と呼ばれ、その他にもディスキング、ストリッピングといった名称で呼ばれることもあります。これは、歯列矯正において、歯を並べるためのスペースを確保する目的で行われる、確立された治療法の一つです。その最大の目的は、歯を抜く(抜歯)ことなく、歯をきれいに並べるためのわずかな隙間を作り出すことにあります。例えば、歯のがたつき(叢生)は、顎の大きさと歯の大きさのバランスが取れておらず、歯が並ぶためのスペースが不足している状態です。この不足しているスペースを、歯と歯の間の側面(隣接面)を、専用の器具でヤスリがけするようにわずかに削ることで確保するのです。また、もう一つの重要な目的が「歯の形態修正」です。人の歯の形は様々で、特に前歯の形が扇形のように末広がりになっている場合、歯をきれいに並べても、歯と歯茎の間に三角形の黒い隙間(ブラックトライアングル)ができてしまうことがあります。IPRによって歯の側面を少しストレートな形に整えることで、歯同士がぴったりと接触し、この審美的な問題を予防・改善することができます。ここで最も重要なのが、削るのは歯の最も外側にある「エナメル質」の範囲内に限られる、という点です。エナメル質は厚さが約1〜2mmあり、その内側には神経のある象牙質があります。IPRで削る量は、歯1本あたり最大でも0.5mm程度。これはエナメル質の厚みの半分以下であり、歯の健康や寿命に影響を与えることはないと科学的に立証されています。痛みを感じることもほとんどありません。IPRは、むやみに歯を傷つける行為ではなく、より良い治療結果を得るために、緻密な計算のもとで行われる、安全かつ有効な医療技術なのです。