今から約25年も前のこと、当時私は都内で1人暮らしのシングル女子、でも文京区の歯医者の評判を聞いてみてもどうにか派遣社員としてとあるオフィスにて受付のお仕事をさせて頂いておりました。
そんな生活を送るなかのある時、私の奥歯の被せ物がポロリと外れてしまう起きてしまいました。
一体いつ被せて貰ったかを正しく思い出すことは出来なくても、当時何となく小学生の頃だったと思った記憶はあります。
たしか、小学生くらいの幼い自分が、当時の住いである実家近くの歯科医院さんで、あなたが神戸で小児矯正を探すならもっともその虫歯となった奥歯の悪化がひどいのでとうとう神経を抜いて貰った後、被せ物をして貰った、そんな幼い日の記憶が甦って来ていました。
その被せ物が劣化して取れてしまったとなれば、再び歯科医院さんを訪ねて被せて頂かなくてはいけないのに、口コミの大阪で今里の歯医者は東成区で探すから歯科医院さんに極力通いたくない私はすっと放置したままで過ごして行きました。
20代半ばの私は、歯の健康の大切さにまだまだ気付けていない相当の未熟者、そのままでも何とかなると受け流し続けて行きました。
ですが、何かのタイミングで「このまま頬っておくとやばい」と気づき思い切って当時の住いとしていたマンションの最寄りの歯科医院さんを訪れ、暫く仕事帰りに通う事になりました。
被せ物が取れても暫く放っておいた代償は大きく、すぐに新しい被せ物をつけてもらう前に、治療が必要となり、この歯並びで今里の歯医者がとてもすごいといえばその治療もいつまで通っても終わりそうもないくらい長く続いた記憶があります。
一度、仕事中に治療中のその奥歯が大きく痛み出して、受付のお仕事を頬が軽く腫れた状態でした日もありました。
やがて新しい被せ物を着けて頂ける日は来ましたが、すぐに治療に行っていればきっとすぐに治療は完了していたでしょう。
芦屋で評判のホワイトニングを探したがとっても私は長い間放置、その結果治療の進みに滞りが出てしまったのです。
歯の治療は躊躇せず、即行動が吉(キチ)とその出来事は私に大きな教訓を残してくれたと思っています。