歯列矯正治療において、歯を歯茎の方向に沈み込ませる「圧下」という動きは、他の歯の移動とは異なる特殊なメカニズムによって起こります。歯は、歯槽骨という顎の骨の中に、「歯根膜」という薄いクッションのような線維性の組織を介して植わっています。この歯根膜は、歯にかかる力を感知し、骨の改造(リモデリング)を促す重要な役割を担っています。歯を圧下させる場合、矯正装置(ブラケットやワイヤー、アンカースクリューなど)を用いて、歯の長軸方向(歯の根の先に向かう方向)に持続的な力を加えます。この力が歯根膜に伝わると、歯根の先端部分とその周囲の歯槽骨に応力が集中します。具体的には、歯根の先端部分では骨の吸収が起こり、歯が沈み込むためのスペースが作られます。同時に、歯根の側面部分では、骨の添加(新しい骨が作られること)が起こり、歯が移動した後も安定するように骨が再構築されていきます。この骨の吸収と添加のバランスの取れたリモデリングプロセスが、歯の圧下を可能にしているのです。しかし、この圧下という動きは、いくつかの理由から難しいとされています。まず、歯根の先端は丸みを帯びており、力を効率的に伝えるのが難しく、また、歯根膜の面積も限られています。さらに、過度な力を加えると、歯根の先端が吸収されて短くなってしまう「歯根吸収」という重大な副作用を引き起こすリスクがあります。これは、歯の寿命を縮めてしまう可能性があるため、絶対に避けなければなりません。そのため、歯科医師は、レントゲン写真やCT画像などで歯根の形態や周囲の骨の状態を詳細に把握し、非常に弱い、コントロールされた力を持続的に加えることで、安全かつ確実に圧下を進めていきます。特にアンカースクリューを使用する場合は、歯以外の部分に強固な固定源を確保できるため、目的の歯にだけ選択的に、かつ精密に力を加えることが可能になり、圧下治療の予測性と成功率を大きく向上させました。このように、歯の圧下は、生体の複雑な反応を利用した、高度な技術と知識が要求される治療法なのです。
歯科医師が解説歯を圧下するメカニズム